「お寺がすべきこと、お寺に出来ること」
お寺は仏教を学ぶ道場であります。儀式法要を執り行う場所でもありますが、そもそもは悩める人びとの心のより所でした。
とはいえ現代では病気の治療は病院にお願いし、介護や福祉が必要な場合もそれぞれ専門職のお世話になります。お寺がさまざまな支援を直接行うことはできません。ただ医療従事者や福祉事業者だけでは解決できない問題もあります。それは人の臨終に関わる場合です。ご本人の将来への悩みのみならず、ご遺族の悲嘆ケアも含め、實相寺ではさまざまな対人支援職の方々と協力しながら、皆様のお役に立ちたいと考えています。
生きとし生けるものは必ず老い、病になり、やがて死を迎えるというのは、お釈迦様も説かれた自然の摂理です。誰しもそこから逃れることはできません。
であるからこそ将来の不安は少しでも軽くして、今この時を精一杯に生きて頂きたいというのが實相寺住職の願いでもあります。
「おかげさま、おたがいさま」
お寺の財政基盤が葬儀や法要のお布施になったのは、一体いつの頃からでしょうか。少なくとも戦後間もない頃までは、一般のご葬儀やご法事に現在ほどの費用はかからなかったはずです。農地解放や産業構造の変化に加え、高度経済成長やバブル景気などを経て、次第にお布施の金額も高くなっていった気がします。
しかし葬儀や法要に費用がかかりすぎるために寺離れが起きているのだとしたら本末転倒です。
お寺の存在目的はお金儲けではありません。またお寺の存続もそれ自体が本来の目的ではありません。お寺はお釈迦様の教えを伝えるために護られてきたのです。
今、日本のお寺の将来が危ぶまれていますが、それはお寺のあり方が本来の姿とはかけ離れてきてしまったからなのかも知れません。
「
日供講」は現代のお寺を次代に伝えるための新しいひとつの試みです。
日供講自体は近世・江戸時代からある寺社を護持する結社ですが、實相寺では
日供講会員の方々に普段から少しずつお寺の運営に協力して頂く代わりに、葬儀や法要での経済的な負担を軽減します。また個人の生き方や家族のあり方等、社会的な変化に伴う将来の不安を、少しでも解消するお手伝いをして参ります。
そうしたことを通じて、皆さまが具体的な安心を得ることが、仏教的な
安心を得る契機になると信じているからです。
令和20年(2038)實相寺は「開基
秋月院殿香林淸感禅尼」の400年遠諱を迎えます。「全ての存在は他者と支えあっている」というお釈迦様の教えに従い、「おかげさま、おたがいさま」の精神で400年遠諱を無事円上出来るように、住職もしっかりと自らの務めを果たしていきたいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
實相寺二十世 閑岳文匡拝